働いたら負けかなと思っている(ニート君)

昼食時に,K本氏がこの言葉に感銘を受けたと言っていた.つまり,親が面倒を見てくれるニートなら,その恵まれた環境を自分から手放すべきではないということだろう.うーむ,確かにこれは一理ある.

ただ,唯一の危険は,恵まれた環境がなくなるかもしれないことだろう.なくなったら,外界に放り出されて,いきなり過酷な暮らしをしなければいけないかもしれないのだ.

これは会社でも同じかもしれない.現在,私の周囲の人間の一部は,学位を取り,一生懸命研究して論文を量産し,学会の仕事や大学の講義をし,書籍を執筆し,標準化作業に関わっているわけだが,これらの活動は「いつまでも現職のままではいられない」という危機感に基づいている.履歴書に書ける項目が少なければ,このご時世ではどこも相手にしてはくれないからだ.つまり,自分の未来を自分で新しく作り出しているのである.

逆に,今まで何度も書いたように,これとは正反対の人達がいるが,その人達は「いつまでも恵まれた現職を続けたい」という願いに基づいているような気がする.そして,その「恵まれた」というのは,高度なスキルや経験や努力は特に必要としない種類の仕事をこなすだけで,比較的良い収入が得られるということだろう.ニートと同じ考えに基づくと,自分の環境を保つ以上の活動をしたら負けなので,難しい外部評価は気にしないで,易しい内部評価だけを重視するのだろう.つまり,自分の未来は現在の延長上にあると考えているわけだ.

結局,どちらの生き方を選ぶかは,自分の一生を掛けた大ばくちなのかもしれない.つまり,前者は新しい環境でそれなりに成功しなければ,結局無駄な努力をしたわけなので負け,後者は今の恵まれた環境がなくなったら,どこも相手にしてくれないので負けなのである(後者の生き方の人で,このリスクを認識していない人も多いようだけど).

しかし,昨年私の年下のいとこが結婚したのだが,A大文系卒で現部長代理で,目黒の高級マンションに住んでBMWを月3万5千円のガレージに駐車しているのを知って,「そもそも理系に行ったら負け」だということを強く認識してしまった(苦笑)