大学から嫌われる理由

最近,大学の先生達がG社を嫌っているという話を,いろいろなところで聞くようになってきた.もちろん,G社の中からも.どうも,これは人材採用に発端があるようだ.
たとえば,「大学で派手に採用活動をする」と言われている.でも,私の大学時代は,日本企業もかなりバブリーに採用活動をしていたし,実はG社の日本で活動を開始する前に,その時私が社会人博士で在学していたK大で日本企業がどのように活動しているかを教えてあげたから,必ずしもG社だけが突出しているとは思えない.まあ,Tシャツやストラップを配るのは,あまり文化的になかったかもしれないけど.
次に,「採用活動や情報収集活動はするのに,大学側への見返りがない」という話も聞く.確かに,G社と共同研究したり,G社で学生に論文を書かせて卒業させるという事例は(まだ)聞かないし,これは日本の大学側が熱烈に望んでいることであろう.また,大学で行われる他企業の講演に大挙して来て,いろいろ質問をするが,自分達のことを聞かれると一切話さないとも言われている.ただ,どうもG社の論文とか見ていると,大学との共同研究はしているようだし,研究用の自然言語データの公開も始めているので,日本の局地的な状況ではないかと思っている.このギャップの理由はいくつか考えられて,一つはG社の日本には研究者はいないことかもしれない(聞くところによると,研究者は本社採用らしい).企業の研究者は,自分の研究内容を外部に発表することも仕事だし,企業と大学(学会)の橋渡しをおこなうという重要な役目も担っている.しかし,開発者は,基本的に業務内容は喋れないし,学会での研究発表もおこなわないというのは,日本企業でも珍しい話ではないし,特にIT企業においてはその傾向は著しい.もう一つは,G社の中枢部にまだ日本人がいないようなので,日本という地域特有の意見が上がりにくい・却下されやすいことかもしれない.そのために一方向になりがちなのかもしれないが,この状況は改善した方がいいし,改善されると日本でもお互いに有益なもっと面白いことがおこると思う.なお私の実感からすると,G社やY社よりも我がグループ会社のR社の方が閉鎖的のように思う(爆)が,そう言われないのは単に世間の注目度の差であろう.
最後に,そして実はこれは一番反感を買う理由だと思われるのは,「優秀な学生を引き抜かれてしまう」ということだ.研究室やプロジェクトの中核になっている人間が進学しない,あるいは大学に残ってくれないというのは,今のこの分野のトップレベルの大学の共通の悩みになっているようだ.しかし,優秀な人間が企業に行くということは,今までも普通に起こっていたはずであるし,学生が評価されて企業に就職するのを歓迎していた風潮もあったはずだ.なぜ,特別に反感を買うのだろうか?T大J報から5人採用したかもしれないが,私が就職した時には我が社は就職ランキングは文系・理系トップでK大の私の学科からだけでも5人採用したので,人数的に多いという前例は沢山あるはずだし,日本企業の方が派手なはずだ.
一つは,引き抜き方の問題かもしれない.日本企業は,基本的に就職以前の実績はあまり注目せず,どの大学をどの程度の成績で出たかということから潜在能力を測るだけである.しかし,G社は,在学時代の業績も重視しているようである.つまり,前者の方法では,いい大学をいい成績で出た人が評価されるのだが,後者ではまさにその研究室で中核を担っていた人をピンポイントで引き抜かれてしまう結果になるわけである.また,能力はあっても強烈な自我や明確な意思を持つ人間は,組織を強調する日本企業にはなじまないので大学に残ることもあったかもしれないが,こういう人間もG社では評価されるだろう.
もう一つは,研究と開発の関係が変わってきたことかもしれない.コンピュータが誕生した後しばらくは,研究と開発は同一の意味を持っていたが,技術が進歩するにつれて分離してきていたように思う.そのために,学生は技術的指向によって研究(大学に残る)か開発(企業に就職する)を選んだだろうし,大学としては優秀な人間のうち前者が残ってくれればいいので,あまり競合しなかった.しかし,今は研究でも開発においても,現実のネットワークでちゃんと動作する,現実の膨大で乱雑なデータを分析するという側面を持ちながら,さらに革新性が要求されるようになってきた.つまり,両者が同じ領域で競合するようになってきたわけで,先日のO山先生の講演では「e-Science研究」と呼んでいた.こうなると,同じ学生を大学も企業も欲しがることになる.学生から見ると,この種の研究では実データや実環境が不可欠であり,それが「リアル」なものでなければ高い評価は得られないとなると,自分の技術的志向を満たすためにはG社の方が有利であろう.また,今は大学で生きぬくのが非常に困難になりつつある.私の学生時代は,博士課程に進み助手として採用されれば,そこから自分が教授に至るまでの道がある程度明確に見えていたものだが,今は違う.有名研究室といえども将来は混沌であり,過酷な競争が要求される.
となると,学生がG社の方を選んでも仕方なかろう.偉い先生方には悪いけど,個人的にはG社にどんどん引き抜いてもらって,より危機的意識を持ってもらうことで,よい方に変わっていくことを期待したいし,G社に日本の大学との協調路線を選んでもらって感情的反発を低減させる努力をしてもらうのも結構なことであろう.
なお,優秀な研究者でも,ある程度の経験を持った実績のある人に「G社に行かないんですか?」と聞いてみると,自分の志向との違いを明確に理由として挙げることが多い.つまり,若いときはがむしゃらに仕事をしていても,そのうち彼らと同様に自分の進むべき方向が明確に見えてくるであろう.また,企業の状況の違いがあり,企業は「生き物」でいつまでも同じではいられない.たとえば我が社は国内において同様に大人数の研究者を雇用し,どんな関連分野でも必ずトップレベルの人間がいるという素晴らしい時期があったが,今は各学会では我が社のOBは大量に参加しているけど,現役がほとんど見られないという状況になっているそうである.同様に,優秀な人間だけを大量に雇用しても,10年後には,そこで切磋琢磨した人たちが再びさまざまな形で外に出て,さまざまな実をつけることになるだろうから,長期的に見て悪いとは思えない.
どちらにしても,今は,この分野で就職や転職に直面している優秀な人たちが最初に選ぶ選択肢は,「G社に行きますか?それとも他に行きますか?」という時代なのかもしれない.