父が亡くなった

今朝の1時頃に父が亡くなった.享年80.
若い時の盲腸の手術ミスで輸血をされた時にC型肝炎に感染してしまったので,二日に一回病院に行き,二〜三ヶ月に一回CTを撮影していた.実は,父は過去二回肝臓ガンができており,一回目は母親がいろいろな薬を飲ませたら,手術をする前に自然消滅してしまい,二回目も手術で無事退治でき,それから10年近くも無事だった.また,治療法も日進月歩で,現在は必ずしも怖い病気ではない.しかし,今回は肝臓ガンが一気に多発発生して急速に進行し(医者によると,非常に珍しい症例だそうである),検査で発見した時にはすでに打つ手がなく,余命一ヶ月と言われてしまったのだ.
家族は医者がダメだと言ってもあきらめず,特に母親は最後は24時間個室に泊まり込んでまで看病を続けたのだが,さすがに運命には逆らえなかったようだ.入院した時は元気だったが,そのうち黄疸が出て来てお腹が膨らみ,御飯が食べれなくなり,立てなくなり,意識障害が始まってしまった.父にがんばってもらいたいために告知はしなかったのだが,症状が悪くなるとわかってしまったようで,黄疸が酷くなってモルヒネを投与されて,考えることすら辛い状態の中で「後は頼む」と言われてしまった.また,すでに立つことができなくなったにもかかわらず,ベッドの上に起き上がり続け,それを見かねた医者に「楽な姿勢で寝ていてください」と言われた時に,「(家族に)生き様をみせにゃならんのです」と言ったのを聞いた時には涙が出てしまった.
日曜日も13:30まで父の病室にいて,病状は非常に悪いながらも,姉が作った食事を喜んで食べたので,この調子ならまだまだ大丈夫と判断して月曜日に一日出社するために東京に戻り,夜はあるイベントに参加して呑んでいたのだが,夜義兄がアメリカから帰国して会いに行った後,容態が急変したらしく,夜中に母と弟から「今亡くなった」と電話があった.母も看病疲れでうとうとしていたら,いきなり看護婦達が入って来てびっくりしたそうで,まさに突然だったようである.もしかすると,最後に義兄に会えて安心してしまったのかもしれない.なお,翌日会った父の死に顔はとても安らかだったので,悲しみよりも先に,まさに天命を全うしたんだなあと感じてしまった.ただ,一昨年に私が釣って来た落ち鮎がとても美味しかった,ぜひまた食べたいと言っていたのに,食べさせてあげられなかったことだけが心残りである(その後すぐ魚などの繊維質が残る食べ物は食べれなくなってしまったのだ).
これから心配なことは母のことで,父を亡くしたことで落ち込まないようにするだけでなく,ろくに寝ずに食べずに24時間看病していたのでかなり体調が悪くなっているので,十分な栄養を取らせないといけない.
というわけで,今週一杯は会社を休んで実家にいる.このブログもしばらくは更新が遅れるかもしれないが,大目に見て頂きたい(と言っても,楽しみに読んでいる人はほとんどいないと思うけど(爆))