「食堂かたつむり」の記事に対する荒らし登場!

以前小説「食堂かたつむり」について書いたが,その時次のようにコメントしたら,見事に荒らしが登場した.なかなか楽しいことになっているので,興味ある人は見るべし!

「この生き物は食べてよいけど,この生き物は食べてはダメ!」という食べ物への尊厳がない生き物差別主義者(たいていの場合は,巨大資本の利益のために誘導されているのだが)にぜひ一回読んでもらいたいものだが,まあそういう奴らは小説なんか読まないだろうな…(苦笑)

追記:DD氏のコメントは,最初からもの凄い偏見と誤解,悪意に満ちているので,まずそれを訂正しようと試みたが,間違いを認めざるをえない状況になっているのに,それらがまったく修正されなかった.そこで,ここに独立に私の意見を書いておく.なお,小説・映画の内容のネタバレを含むので,これから小説を読もうと思っている人は注意されたし.
ここでDD氏が問題にしているのは,以下のような部分だ.
「母親と仲違いして実家を離れた主人公(=料理人)が無一文で実家に帰って来て,同居させてもらう条件として,豚の飼育を頼まれる.この豚は近所から死にそうになっているところを引き取って来たもので,非常にかわいがっていた.主人公は最初は仕方なしに世話をしていたものの,そのうち自分の妹であるかのような感情を持つようになる.
ところが,ある日母親が昔の恋人と再会したこと,そして彼が医者で末期がんを告げられたことが判明し,最初で最後のお願いとして娘である主人公が結婚披露パーティを企画すること,そしてその豚で参列者に料理を作ってくれることを頼まれる.
主人公は何度も説得してやめさせようとするが,母親の決意は非常に堅い.そこで,主人公は豚を殺して料理をするなら,血の一滴も無駄にしないで料理を作り,その料理で病状の進行で母親ができなかった新婚旅行・世界旅行をさせてあげようと決意するのだった.」
上記のような光景は少し前なら日本でも普通に見られた.たとえば,親が鶏を飼う時に世話をするのはたいていは子供で,育てて行くうちに可愛くなってしまうが,何からのお祝いの時にその鶏が料理として出てくるというものである.この時に,その鶏をかわいがってきた子供は必ずしも納得していないことがある.
この問題を取り上げたのが,コメントでも紹介した「豚を子供に飼育させ,その後に食べる」という飼育を通して命を考えようという実践教育を元にした映画「ブタがいた教室」であり,これでも同様の議論が起こった(残念ながら上映館・期間が限られていて見ることはできなかったが,この映画では,結末部の脚本はなく,子供たちの議論の結果にゆだねるという画期的な試みをしているそうだ).
では,私がどちらの結果を支持するかというと,「殺して食べる」,「食べない」どちらの結果も支持する.ただし,前者の場合には,その命が与えてくれたものを決して無駄にしないこと,後者の場合でも,「人間は他の生き物を食べなければ生きられない」という原罪をしっかり理解した上で,安易な感情論・差別論にならないことが条件である.
さて,ここでDD氏が持っていた偏見と誤解を分析しよう.

  • この小説が「かわいがっていたペットを理由もなく殺して食べる」という話だと完全に誤解している.上記のあらすじで,そう思う人がいるだろうか?
  • 人間と動物は昔から共生関係にあったという事実の認識がなく,愛玩用のペットとそれ以外の動物に無理矢理分類しようとしていて,論理的に破綻している.実は純粋に動物を愛玩用に飼育するようになったのは人間の歴史では比較的最近の話で,ペットと家畜の境界は不明瞭であった.たとえば,猫はねずみを穫るため,犬は番犬(平安時代までは一般的な食用動物でもあったが,獣肉を食べることが禁止されたためになくなった)などの目的に利用される「家畜」であった.
  • 「家畜」,「食肉用」には愛情が注がれていない,注いではいけないという誤解・偏見がある.それは歴史的事実とは異なるし,たとえ食肉用であっても,高級食材は愛情を注がないと質が維持できない.
  • 人間の原罪に対する理解もない.もし,「人間は他の生き物を食べなければ生きられない」ということを理解していたら,たとえ食肉用であっても敬意を持つはずであるが,それがない.「動物の命に敬意を払って,決して無駄にしないこと」はこの作品のテーマの一部でもある.
  • 「ペット」という主観的な概念を他と無理矢理区別して神聖視し,絶対的なものとして他者に押し付けようとする根底には,「ペットは高級なもの,それ以外は低級なもの」とする鼻持ちならない差別主義があると思う.それは「イルカはかわいいから(苦笑)殺してはいけない」という暴論や,ヒトラーユダヤ人に対して持ったような人種的偏見と同種である.

結局,人間は食用,労働用,愛玩用,介助用など,さまざまな目的のために動物を飼育して共生し,いろいろな利益を与えてもらっている(愛玩用であっても「癒し」を与えてもらう点で例外ではない).人間は,それらに感謝し,その命をおろそかに扱ってはならない.そして,「食堂かたつむり」は,それをしっかり描いた良い作品だ.
もちろん,頭で理解しても,感情的に納得できない人が出てくる人だろうし,それはそれでよいと思う.そもそも,これは難しい問題だし,人間の感情はいつも理性でコントロールできるわけではない.
しかし,DD氏のような命の尊厳を無視した差別論を展開し,そしてそれを強引に他者に押し付けて回る行為は論外である.スーパーで肉や魚が切り身で売られるようになり「生物」であることが目に見えにくくなったことが,DD氏のような命への敬意が希薄な人間を生み出しているのだろうか?