熱風 2010年7月号 特集iPad(スタジオジブリ)

義兄が読みたいというので,今話題の「熱風」iPad特集号を入手.リブロブックス吉祥寺店では,若い店員に相談したら置き場所がわからず,それより年上の店員が奥から出して来たのだが,ほとんどなくなっていたのだろうか?
なお,今回iPadについて執筆しているのは,次の人達だ.なお,この順番は意図的にポジティブからネガティブな意見に配置しているようだ.

  • 予想を超えたパラダイムシフトがはじまっている(佐々木俊尚
  • インターフェースは私たちをどこへつなぐのか(岡嶋裕史
  • 見えないiPadの未来(山形浩生
  • ぼくには、鉛筆と紙があればいい(宮崎 駿)
  • 老人向き(高畑 勲)

最初の二人のiPadマンセーという意見は横においておいて,興味深いのは後半の三人である.
山形浩生は,iPadが一体何に使われるのだろうか?ということにさまざまな疑問を投げかけている.ノートPCと携帯電話の間を埋めるものが必要だということは多くの人が考えていただろうが,電子ブックを除くと,あまりはっきりわからないので,それが単にまだわからないだけか,そうではないかと悩んでいるようだ.
宮崎駿は,過激なまでの実体験重視主義と創造に力を費やすことを主張するが,私も基本的にそれには共感する.たとえば,「何を書くか決めてから探す資料は大切なものじゃない.」とあるが,私もプログラムを書き始める前にさまざまな思考過程をノートにメモしながら考えていくのが一番大変で,これだけはコンピュータ上で何度かやろうとしても,結局うまくできないのを実感している.デジタル化できるのは情報のすべてではなく,実はまだデジタル化できない部分に他と差別化できるような貴重な情報が隠れているからだ.なお,インタビュアがかなりアホな質問をしているのが発言が過激になった原因のように思えるが,宮崎駿がすべての文を書き直したそうなので,元の会話よりもかなりバイアスが掛かっている可能性も否定できない.
高畑勳はiPadの利点を認めながらも,その「麻薬性」が自分自身の時間を失わせることを懸念している.逆に,それ故に身体的な問題で自由に出歩けなくなった老人にとって良い機器ではないかと考察しているのが面白い.
ネット上では宮崎駿に対するかなり否定的な意見ばかりが見られるが,冷静に五人の意見を対比させながら読めばなかなか面白い.iPadファンはできればこの小冊子を入手して読むべし!