某研究会

?IIで某研究会.今回は他の研究会とバッティングしたからか,担当幹事の順番を入れ替えて昨年の同じテーマとの間が短かったからか,残念ながら発表件数は少ないが,内容はそれなりに面白く,議論に集中できた.
さて,今回興味深かったのは議論する中でA山准教授が紹介した佐藤優(「外務省のラスプーチン」)の百科事典に関するエピソード.これは『月刊百科』第543号に掲載された「『改訂新版 世界大百科事典』について」というエッセイのようだが,図書館を探す前にぐぐってみたら,幸運にも平凡社のWeb上で公開されていた(本当に便利な時代になったものである).
『改訂新版 世界大百科事典』について
さて,彼がここで次のようにWikipediaに対する百科事典のメリットを三つ挙げている.

インターネットの「ウィキペディア」で、情報はただで手に入れることができるので、高価で、場所ふさぎの百科事典を買う必要などないという意見もときどき耳にするが、私の見解ではこれは少なくとも三つの理由で間違っている。

彼が挙げた理由の最初の二つは,あまり的確ではないと思う.
最初の理由は,「優れた編集チームを作って、当該分野の第一人者に執筆を依頼してすればよい」という考え方も,百科事典に優れた編集者ばかりを割り当てるのは不可能だろう(さまざまな編集者とのつきあいがあれば,能力の個人差が激しく,優秀な編集者は少ないことを痛切に感じているはずである)し,当該分野の第一人者ばかりに執筆を依頼しているわけでもないので,実際にはこの言葉は理想論に過ぎないと思うからだ.Wikipediaは,問題点の発見を読者に頼り,競合をシステムで解決しようとする方針なわけだが,だからと言って専門家から見ても悪い項目ばかりというわけでもない.結局,与えられた初期条件こそ違えども,その条件のなかでベストを尽くそうという姿勢には変わりはないのではないか.
二番目の理由は,単なる精神論のような気がする(苦笑)私は金よりも時間の方が惜しいし,本はいつ買えなくなるかわからないので,すぐ読まなくても目についた時に買っておくのだ(大学の先生や研究者はみんなそうだと思うし,私はまだ少ない方でY田教授は100冊/年は当たり前だそうだ).まあ一般人だとそうかもしれないが,最近はそういう人達は百科事典は買わないのでは?という気もする.
しかし,三番目の理由が面白い.「歴史をある時点で切断し、その時点での体系知の構造を提示するのが本来の目的なのだ。」とあるが,現在でもWikipediaをある時点で切断することはできる.しかし,それはその時点の体系知の構造ではないのだ.やはり,限られたリソースの中で優劣をつけ,体系的にまんべんなく知識を構成するということは,自律的な編集では難しい.これは一般技術書においても同じで,仕様書やチュートリアルが無償公開されていても,紙の書籍を購入するのは,それが限られたページ数の中に知識が選択・体系化され詰め込まれているからであろう.各知識はインターネットからより詳しくより新しい情報が入手できるが,その知識体系の骨組みが重要なのだと思う.これを強調するのが今後の技術書の生きて行く道なのであり,それをインターネット上でどのように実現するかが私たち研究者の進む方向なのかもしれない.