竹鶴

Y田氏から井のなかは非常によかったとお礼のメールが来た.びっくりしたのは,あそこで飲んだ竹鶴が旨かったので,いきなり三本!も注文してしまったことだ(笑)古いのが欲しいけど残念ながらなかったそうだが,そりゃそういうまっとうな酒屋は普通は鐘や太鼓で探さなければ見つからないわけで,さっそく山枡酒店を教えてあげた.彼の舌は,糖尿病になってしまうような普段のグルメな生活(苦笑)だけでなく,翌日の居酒屋で頼んだ銘柄不明の熱燗を口をちょっとつけただけでまったく飲まなかった(笑)ことでも実証されている.彼のメールを読んで,以前にべっしゃんの酒の会でも,あまりお酒を飲んだことがないと言っていた人が竹鶴を飲んで思わず「旨い!」と言っていたり,最後に出たバニラアイスの竹鶴の古酒がけが大人気だったことを思い出した.
さて,ここで気がついたのは,竹鶴には日本酒の旨さを教える不思議な魔力があるのではないか?ということだ.実は以前は竹鶴はそうとうお酒を呑み慣れている人でないと,正しい評価は難しいと思っていた.なにしろ,「放し飼いの酒造り」の人で,作られたお酒はしっかり熟成させるので,まあ今時いい日本酒を揃えてます!と言う酒販店や飲食店で出てくる「日本酒」とは相当隔たりがある.また,こういうボディのしっかりした酒を評価するためには,味わう側にもそれなりの経験が要求されるだろうと思っていた.しかし,それは私の勝手な勘違いだったようだ.
結局,普段から日本酒を飲み慣れているほど,昔のアル添酒,新潟の活性炭で匂いや味を除去して淡麗辛口に仕上げた酒,そして最近までの香り高い吟醸酒のどれかの愛好者である可能性が高く,一旦どれかの「刷り込み」が行われてしまうと,困ったことにそれ以外のものはなかなか受け入れてくれない.たとえば,「燗酒=アル添酒」,「高い日本酒はお燗すべきでない」という信念を持つ人達は,そもそも純米酒のお燗に否定的であるし.また活性炭で濾過したお酒に慣れてしまった人は色がついたり,しっかりした味の本来の日本酒を受け付けない人も多い.また,華やかな吟醸酒好きや生酒信奉者は「日本酒は冷やすべき」「出荷時の味が杜氏が意図している最高の味」という理由でお燗を否定するし,許容する場合でもそのようなお酒のぬる燗(華やかなお酒でも酸があれば,ぬる燗までなら美味しい)しか認めない場合が多い(「井のなか」や「松の屋」が嫌いという人の話を聞くと,そのようなことが理由だったことがある).酒蔵が造った純米酒を常温で熟成させてから出荷し,それを冷や(常温)か燗で飲むというのが戦前までの「普通の飲み方」であったというのに,このような妄信は,そもそも根拠がないゆえに論破するのは難しい.
しかし,やはり旨い酒は旨いのであり,それは余計な思い込みがない人ほど正しく評価してもらえる…特に竹鶴は彼らがそれまでに口にしたことがあるかもしれない「日本酒」という奴とはかなり異なる味わいで,それゆえにまったく違うものとして素直に受け入れられやすいのではないかと思う.